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子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク

いま福島で起こっていること 子どもたちを救え!

 小児科医 山田真(援連絡センターHP8月16日の記事から転載)



福島は今、大変なことになっている。どんなに大変かは実際に福島に行き、しばらく滞在してみないとわからないかもしれない。福島駅に降りて道を行く人を見ただけでは、福島は〝なんともなさそう〟である。ある科学者が雑誌の対談の中で「福島の人たちは防護服も着ないで無防備に町の中を歩いている」と言っていたが、防護服というのはあまりに非現実的としても、マスクさえつけず、〝無防備〟に歩いている人がほとんどだ。

町を行く一人一人が「福島は大丈夫、安全。放射能はこわくない。」と身をもってアピールしているようにも見える。
しかし、わたしたちの健康相談会にやってくる母親は最初は回りをを警戒するように緊張しているものの「ここは言いたいことを言っても許される場」とわかるとあふれるように言葉がほとばしり出て泣きはじめたりするのだ。
「大丈夫、福島」「がんばろう福島」のかけ声の奧にフクシマがかかえる深い闇を私は伝えねばならない。

6月、福島市で立ち上げられた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」(以下「福島ネットワーク」と略す)「今、福島には子どもたちの放射能汚染を心配している親たちが沢山いる。その人たちに一度会いに来てほしい。」との呼びかけがあった。小児科医であるわたし個人への呼びかけだったが、これには到底1人では応えきれないと直感したからとりあえず「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」を立ちあげた。そして福島ネットワークが企画した「健康相談会」に協力することにした。
6月19日、相談会は福島で開かれ、11人の医者と数人の養護教諭などによって250人の子どもとその保護者を対象に健康相談が行われた。医者のうち8人はわたしからの呼びかけにこたえて参加してくれた人たちだが平均年齢は60歳を越え、これから数10年、放射能を浴びた子どもたちを見守り支えていくには心もとない状態だった。しかし、ネットを通じて相談会が開かれることを知り、自発的に参加を希望してくれた若い医者が5人いてそのうちの3人がこの日の相談会にかけつけてくれた。(残りの2人はその後に開催された相談会は参加してくれている。)これは、久しぶりにわたしを元気づけてくれたできごとであったことを書き留めておく。
さて、相談会をはじめてみると、子どもたちのお母さん、お父さんたちは口々に自分のかかえている不安を話してくれた。「専門家たちは、この程度の線量なら大丈夫などと言っているが信用できない。子どもは今、からだの不調を訴えているが放射能の影響ではないかと心配だ。」「幼い子と2人で窓もしめきった家の中にこもっている状態がずっと続いている。精神的にも限界だが外で遊んで大丈夫だろうか。」「3月11日当時、第1原発から30キロ圏内で生活していたが、今は福島市に避難している。3月11日からの数日の間に子どももかなりの量の被曝をしていると思う。そして今、毎日、少しずつ外部被曝、内部被曝が続いていて子どもの将来が心配だ。」
こうした声はわたしも事前に予想した範囲のものだったが、話を沢山聞くうちに全く予想しなかった事実に出会う。それは例えば「学校給食の食材はすべて福島産のものを使っている。福島産でない、安全な地域でとれた野菜を使ってほしいなどと要求するとバッシングされる。」「保育園で福島産の牛乳を飲んでいる。他の牛乳に変えてほしいと言ったら怒られた。では、うちの子は飲まないようにさせてくれと申し出たが一人だけそんなことはできないと言われた。」
もともと、福島ネットワークからわたしに「一度福島に来てほしい」と言われた六月のはじめ、「福島市内のお医者さんに子どもを連れて行って、〝鼻血がよく出るが放射能のせいではないか〟などと相談すると笑いとばされてとりあってもらえない。だから来て相談に乗ってほしい。」と聞かされていたから「福島市内のお医者さんの多くは、〝放射能は心配いらない。気にしすぎはかえってからだによくない。〟と言って口裏を合わせることにしたのだろう。
それは原発安全神話が崩壊したあと新たに放射能安全神話を作り出すために医者も協力することにきめたということなのかな。」と思っていた。
しかし、現実はそんな範囲にとどまるものではないようだ。福島市があるいはもしかすると福島県全体かも知れないが、「福島県は放射能に汚染された地域」というレッテルをはられないために、放射能は安全、福島は安全と声をそろえて言わなければならない状態に追いこまれているように私には見えた。
福島産の野菜は安全だということを自ら示すためにあえて子どもたちにも地産の食材を与えているようにも思われる。そして「それは危険だ。やめた方がいい。」と異議を唱える人は地域でバッシングされるから口には出せない。そういうことが地域の中で人間関係をこわしたり家族の中に対立を持ちこんだりしている。そんな切ないことが福島では起きていて、そうしたことは報道もされないから福島県外の人はほとんど知らない。相談会で知り得たことはこういうことだったが、わたしがこうして書くのも福島の人たちにとって迷惑なことになるかもしれないし、風評被害(この言葉は使われすぎ。使ってはいけないと個人的には思う。)を煽ると非難されるかもしれない。しかし、「子どもを放射線から守る」と銘うったネットワークを立ち上げた以上、「福島の子どもにはせめて安全な食材を食べてもらおう」とアピールする責任がわたしにはある。福島の野菜などは国が買い上げたり国会の食堂で使われたり、内部被曝をしても、まあ安全と言われる60歳以上の人たちが食べたりするようにすればよい。既に相当な量の被曝をしている福島の子どもたちが率先して〝汚染の可能性の強い〟食材を食べているのは、低線量被曝の人体実験をしているようなものではないか。
さて、相談会はその後2回行われたが3回目の7月の相談会では「この相談会に来たことがわかると地域でバッシングされる。」とおびえながら語る人もいて一段と厳しい状況であることがわかった。福島を知り福島のことをみんなで考えてほしいと切に願う。
子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク 代表 山田 真)

Doctor  田 真  Makoto Yamada

「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表。東京や福島で「子ども健康相談会」を開催。

1941年、岐阜県美濃市生まれ。1976年東京大学医学部卒業後、八王子中央診療所で町医者40年。自然治癒力を生かした医療を目指す。医療被害者のたたかい、障がい児の就学運動などにも関わる。。
雑誌「ちいさいおおきいよわいつよい」(ジャパンマシニスト社)編集代表。
「母の友」(福音館書店)で長年にわたり「子育てフリースタイル」を連載。
著書

「はじめてであう小児科の本」(福音館書店)

「小児科book Ⅰ・Ⅱ」(ジャパンマシニスト社)

「育育児典」(共著 岩波書店)

「子育て・楽天主義」(講談社)

「小児科つれづれ草」  など著書多数

Doctor   信一  Shinichi Kurobe

1941年生まれ 1960年慶應義塾大学医学部入学、当時の安保闘争に加わり、その後自治会運動、大学生協運動、学費値上げ反対闘争に参加。1966年慶應義塾大学医学部卒。

卒業後、青医連運動に加わり、研修協約闘争に敗北。1967年慶應病院小児科に入局。

1968年国立埼玉病院小児科に勤務。1982年同病院小児科医長。1984年吹上共立診療所所長。2010年11月より堀ノ内病院勤務。2012年3月すずしろ診療所所長となり、現在に到る。

その間、小中学生のインフルエンザワクチン廃止運動、BCG反対運動(小中学生は廃止となる)、森永ヒ素ミルク中毒のこどもを守る会を支え、東京森永告発に参加。また未熟児網膜症被害者の原告側支援。

小中学校の胸部X線検診廃止運動に成功。その縁から、チェルノブイリ子ども基金に入り、今は顧問となる。2011年3月11日の原発事故後、日本の子どもも救済しようと、「未来の福島こども基金」代表。 

blog: http://kurobe-shin.no-blog.jp/bk/

著書

 院長先生のここがまちがい小児医療/黒部信一  現代書館

 原発事故と子どもたち/黒部信一  三一書房

 原発・放射能 子どもが危ない/小出 裕章・黒部信一 (著) (文春新書)

 Doctor 平野 夫  Toshio Hirano

亀戸ひまわり診療所所長。

NPO法人東京労働安全衛生センター代表理事。

内科医。

石綿関連疾患やじん肺などの職業病が専門。

労働組合や被災者とともに職業病の予防、被災者の治療と補償などの活動に取り組んでい

ふくしま ココロカラダ

 



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